ビデオデッキが一般家庭に普及し始めた頃の恥ずかしい話

あなたの家には、現在ビデオデッキはありますか?

物心ついた時には、自宅にある録画機器はブルーレイやDVDという方もいるとしたら、時の流れは速すぎるとしか言いようがありません。

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テレビが録画できるなんて夢のまた夢

昭和40年代生まれの人間にとって、テレビを録画できる時代が来るなんて、夢のまた夢。

自分の少年時代に戻って現在を見たら、まるでSFのようです。

そうはいっても手塚治虫先生のアニメ「ジェッターマルス」や「怪獣総進撃」の時代設定を2017年は超えてしまっていますが、SFってほど風景は変わっていませんね。(どっちやねん!)

まあ、何が言いたいかというと、録画機器の歴史についてです。

そもそも、昭和40年代には一般家庭に「録画」という概念はありませんでした。

「録る」といえば、「録音」です。

当時は、森の中へ出かけていって自然の音を録音する「生録」なんて趣味もありました。

我が家にはラジカセもありませんでした。

兄がラジカセをやっと手に入れましたが、私は触らせてもらえず。

お下がりを譲り受けて録音遊びができるようになったのは小学校6年の頃。

「ザ・ベストテン」の山口百恵さんや世良公則&ツイストの曲を、テレビのスピーカーの前にラジカセを置いて録音したのをよく覚えています。

しかし、70年代も終わる頃、お金持ちの間では、家庭用ビデオデッキなるものが、普及し始めていたのです。

映画もテレビで音声だけラジカセで録っていた!みんな、そうしていたんだ!

ビデオデッキについては恥ずかしい思い出があります。

中学1年当時(1979年頃)、自分はその頃まで数年、東映のお正月映画、菅原文太主演の『トラック野郎シリーズ』が大好きで劇場でもテレビでも欠かさず見ていました。

後追いでファンになったので、テレビで放送する時は必ず120分のカセットテープを買ってラジカセで音声だけを録音してコレクションしていました。

 

授業が終わり、掃除の時間に、一緒に掃除していたA君と、前日にテレビ放送があった『トラック野郎シリーズ』の話になったときのことです。

 

自分:きのう『トラック野郎』見だが?

A君:見だ見だ!

自分:オレ録音したど!いっつも録ってんだ。もう三作分集めだど。(と、自慢げに)

A君:オレも録ったど!きょうまた見っぺ!

自分:??? えっ 見っぺ? 

(オレ、ばぁーっと赤くなって、引きつって動きが鈍くなる。うぐぐっ…)

 

A君の家はお金持ちだったのだ。あの時代、家にビデオデッキがあるなんて聞いた事がなかった。(当時ビデオデッキは1台20万円位だったらしい)

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ついに我が家にもビデオデッキが!

1986年になって、細々と生きていた我が家にもビデオデッキ来ました。

自分がビデオデッキが欲しくて昼食をとらずに食事代を貯金しているのをみて、親が折れてお金を援助してくれたのです。

それが、自分が実家を出て上京するわずか1年前のことでした。

自分の家にビデオデッキが来た事で、こうなるとやっぱり、怪獣映画が見たくなるります!

仙台ではレンタルビデオ店の出始めの頃で今のような全国展開の店舗はありません。

ツタヤもゲオも東京に来て初めてその存在を知りました。

仙台では、個人経営の店が少しあるくらいでした。システムもそれぞれで、会員カードがなく、ビデオを借りるのに、保証金として1万円を預けなければいけない店もあった。レンタル料も高かったなぁ~。

そして、私は仙台駅前のレンタル店で、1万円の保証金をお店に預けて『空の大怪獣ラドン』のビデオを借りたのだった。

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おまけ

昭和40年代の終わり頃だったと思うますが、もちろんレンタルビデオがあるわけがありませんから、怪獣映画を観るには、映画館で上映している間だけだったのですが、もう一つ方法がありました。

私と同年代の方、あるコマーシャルを覚えていらっしゃいますか?

ある家族が、誕生会のようなホームパーティをしていて、ゴジラ映画を映写機で見ているCMです。

そうです。

当時、映写機と怪獣映画のフィルムを家庭に貸し出すというサービスがあったのです。(売っていたのかは定かでないです。記憶が遠すぎて)

ゴジラやモスラやマンダが紹介されるシーンがあって、そのコマーシャルが私は大好きで、こんな家庭に生まれたかったと思いました。)

現在は、恵まれた時代になりました。作品を自分のものにできるのですから。

 

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