1980年を前後して、少年たちの間で、ラジコンカーが流行り出した。
と、私は勝手にそう感じただけなのですが、たぶんそう思っている現在還暦前後の輩は多いと思います。
そんな時代、小6から中2ぐらいまでの間、私も『ラジコンカーブーム』とクロスしたことがありました。
昭和55年前後の思い出話です。
あなたの記憶と重なる部分がありますかどうか。
RCカーに目覚める前のオモチャのラジコンカーに出会う
謂わゆる『RCカーブーム』に遭遇する3、4年前の小学3、4年生の頃、
オモチャのラジコンカーをお年玉で買ったことがありました。
スーパーカーブームが起こる1、2年前のことです。
買ったのは、赤い色の『ホンダシビックCVCC』のラジコンカーでした。
別売りのプロポで動かすのではなく、ピアノ線のようなアンテナのついたちっちゃなコントローラーで操縦する、子供向けのオモチャのラジコンカーでした。
この、赤いシビックのラジコンを手に入れた時は嬉しかったなぁ。
ネットで、同じ商品が存在するのか検索したところ、画像が何点か出てきます。
『ASAHI アトコミ3号 ラジオコントロールプロポシステム シビックCVCC ポール4本つき』
という商品名です。
これこれ、このコントローラーです。記憶と合致しました。
このシビックのラジコンカー、コントローラーのアンテナと、車体から出ているアンテナをくっつけると、タイヤ(モーター)がウィーンと回るのでした。
どういうメカニズムか知りませんが、面白がってよく、アンテナ同士をくっつけて遊んでました。
画像を見てみると、ポール(カラーコーン)が4つ、付属していたようなのですが、私の記憶が飛んでます。
40年以上前のオモチャ。今も動くのでしょうか?
真っ直ぐ走らせることが出来なかった
このオモチャの『シビックCVCC』、小学4年生の私には操縦が難しく、真っ直ぐに走らせることができませんでした。
真っ直ぐ走らせようとしても、必ず左右のどちらかに曲がってしまうのです。
そういう仕様なんだと思って遊んでいました。
ある日、若い親戚の叔父さんが家に来た時、その『シビックCVCC』を操縦しました。
するとどうでしょう!
車が右にも左にも逸れずに直進しています。いとも簡単に!?
あれ、おかしいな。
要は私が操縦が下手くそだっただけだったのですね。
本物の自動車を普段から運転している人からしたら、難しくはなかったのでしょう。
それから、その『シビックCVCC』、従兄弟にあげてしまったのか、壊れて捨ててしまったのか、そこから先の記憶がありません。
これが私の最初のラジコン体験です。
RCカーに出会う!
小学6年生だったある日の放課後、校舎の前の舗装された部分で、ラジコンカーを走らせている他のクラスの児童がいました。
私の持っていた、オモチャのラジコンシビックとは、ちょっと違う。
大人の匂いのするスピードが出る12/1スケールの『RCカー』と呼ばれるものでした。
タミヤのRCカー、車種は昭和風にいうと
『6輪タイレル』。
この時代は『ティレル』ではなく、呼び方は『タイレル』ですよね、同士!
そのRCカーは、基本仕様で「ニカドバッテリー」搭載の本格モデルでした。
タミヤ模型では、この『6輪タイレル』と、『ポルシェ935』が初期の2大モデルだった記憶があります。
しかし、それより前にタミヤから出ていた『ポルシェ934ターボ』1/10モデルがありました。
私は、6輪タイレル、ポルシェ935よりも、
カエル顔の、ポルシェ934ターボのラジコンのほうが断然カッコよく思えました。
それは、小学校の近くにある模型屋さんの、手の届かない、いちばん上の棚に箱が飾ってありました。
お年玉を貯めて小6の私は、そのタミヤポルシェ934ターボのRCカーを手に入れたのです。
だがしかーし!
プロポを買う予算がありませんでした。(当時の私の小遣いは月1000円だったか2000円だったか)
お盆での親戚集合の小遣いに願いをかけるのだった。
それまでは、934ターボを組み立てられるところまで組み立て、半年だったか1年だったか、じっと我慢の子になるのでした。
プロポをやっと手に入れた!
やっとプロポを手に入れました。
フタバの2チャンネルプロポ。
皆さんもこれですよね。
当時のイメージではプロポは、ハンドル式はダサく、レバー式のほうが玄人っぽいというイメージだった気がします。
ですよね?たぶん・・・
934ターボは乾電池仕様だった
買う前から分かっていたのですが、タタイレル、935が最初からニカドバッテリー仕様だったのに対して、タミヤポルシェ934ターボRC 1/12は、初期の商品だったので、まだ単2乾電池を動力とする仕様でした。
タイレルとポルシェ935のほうは、バンパーもABS樹脂製でしたが、
934ターボのバンパーはスチール製(ハリガネを曲げたヤツ)
まだ、タミヤがRCカーを模索していた初期の設計だったようです。
んなこた関係ない。
見た目がカエル顔のポルシェなら、性能はどうでも良かった。
気分は早瀬左近!(サーキットの狼)
でもやっぱり、
乾電池仕様は遅かった!
たしか時速6kmだった記憶が。
ニカドバッテリーをゲット!
父親は錦鯉の飼育が趣味でした。(決して裕福な家庭ではありません。)
宮城県名取市のバイパス沿いには、『東北熱帯魚センター』という観賞魚の販売店がありました。
その隣には、『ビーヤング』という「東北のトイザらス」とでも言っていいような伝説のオモチャ屋さんがありました。
ビーヤング、あなたもお世話になりましたか?
いいお店でした。
錦鯉を買いに行く父親について行きました。
しかし、私の目的地は『ビーヤング』です。
熱帯魚センターに行ったついでに、ビーヤングに立ち寄り、ショーケースの中にある、タミヤのニカドバッテリーを
「これがあれば速くなるんだけどな〜」と父親の前で指を指す。
なぜか、買ってよとは言えない、ひねくれた子供でした。
父親は、港湾労働者だったので、工業港の広い敷地で、マニアがエンジンのラジコンカーを走らせているのを、いつも目にしていたそうです。
父は、電動ラジコンなんてそんなに速くないと思っていたらしいですが、
なんと、ニカドバッテリーをその時買ってくれました。
後日、ニカドバッテリーに載せ替えた私の934ターボの走りを見て驚いていました。(まあまあ速いじゃないか、みたいな感じで)
デフギヤを初めて知る
プロポもなく、いつになたら走らせる当てもなく、934ターボを組み立てていた時、
ギヤの中にまたギヤが組み込まれていて、その小さなギヤが反対に回りながらタイヤに動力を伝える。
デフギヤというものでしたが、小6で免許もなく、インターネットもない時代、
これが何のためにあるのかも知りませんでした。
こんな、タイヤが空回りして動力伝わんのか?
なんて不思議に思っていました。
デフギヤとは曲がる時の内側のタイヤと外側のタイヤの回転差をつけるための、本物の自動車にもある機構です。
ラジコンチームを作る。
中1になると、同じクラスにもラジコンカー好きがいました。
その中には、小学校時代に校舎のまえで「6輪タイレル」をカッコよく走らせていた〇〇君もいました。
周りに回ってここで会うことになるとは!
友達の友達のラジコン好きも混ぜて4人で「〇〇レーシングチーム」。
全員タミヤのRCカーです。
走らせるのは、橋の下の廃れたローラースケート場。
なぜだか知らねど、みんな別売りの934ターボのボディーを買って、気がつけば全員がそれぞれの934ターボを駆っていましたとさ。
その後、どうなったと思います?
みんなしれぞれ、飽きてしまうんですね。
チームの中の1人は、2チャンネルで操縦できるラジコングライダーへと気持ちが移っていき、
1人は零戦のバルサキットを作り出し、
私はというと、文化部にいた頃は、RCカーも楽しかったのですが、
卓球部に入り直してからは、そっちにほうが楽しくなって行きました。
クラス替えでラジコン仲間とも離れてしまい、チームは自然消滅。
ありがちな中学2年(笑)