昭和のBC Lブームの思い出

私の記憶では、1978年、1979年あたりに、『BCLブーム』が起こりました。

大ブームというほどの盛り上がりではなかった気もします。

私は小6〜中1でしたが、BCLをやっているクラスメイトは、2人しか知りませんでした。

大ブームとは言えないかもしれませんね。

しかし、BCLを楽しむという趣味は確かに存在しました。

BCLの何が楽しかったのか

私はBCLを深く語るほどのめり込んでいたわけではありません。

兄がBCLに凝っていたので、影響を受けた。

というか、兄にBCL用?のラジオをお年玉で買うようにそそのかされ、洗脳されて、始めたようなものでした。

BCLの何が楽しいのか?と、知らない人は思うかもしれません。

今は、ラジオもradikoで聴く時代ですもんね。

今の中高生の方々は、ラジオを聞きながら受験勉強しているのでしょうか?

ながら族的にラジオを聴くのではなく、真面目に受信することに向き合うのがBCLでした。

BCLという趣味は、どちらかと言えば、国内の中波の放送ではなく、海外からの短波放送をキャッチして満足感を得る。というものだったと記憶しています。

受信報告書を郵送して『ベリカード』を返送してもらい、集める楽しみ。

BCLの楽しみは、聴き取りづらい海外の放送を受信するという楽しみと、もうひとつ、受信状態などを記録した『受信報告書』なるものを放送局に郵送して、そのお礼?に『ベリカード』という、その放送局独自の絵葉書風のカードを送ってもらう。

それをコレクションする。という楽しみがありました。

私は受信報告書を海外の放送局に送ることで、生まれて初めて「エアメール封筒」を使いました。

封筒のフチに青と赤のシマシマのフチ取り模様のついたあれです。

エアメール封筒を使用したのはその時以来ありません。

『受信報告書』の用紙は、

当時『ラジオの製作』という名のラジオ、アマチュア無線の月刊誌があって、それに載っていた通販広告で購入しました。

受信状況を表すSINPOコードなるものを記入して送るのです。5段階評価だったか、abcd評価だったか、もう覚えていませんが。

田舎の平凡な中学生が、海外に手紙を送る。ただそれだけで大人になった気分になったものです。

ベリカードを送ってもらうために、たしか、返信用の封筒を同封したようなしなかったような…。

なんせ40年以上も前の記憶なので記憶がおぼろげです。

BCL用ラジオのかっこよさ!

そして、少年達が憧れたのが、BCL用?のラジオでした。

その頃、各メーカーから、BCLに使う短波ラジオが販売されていました。

ナショナル(現在のパナソニック)『プロシード』『クーガ』。

ソニーの『スカイセンサー』

など。

それらのBCL用ラジオは、言うなれば「松本零士の漫画の世界」。

メーターやダイヤルなどの計器類のかっこよさが少年の心をくすぐるのでした。

私の兄は学業の成績が良かったので、親との約束で、期末テスト学年5番以内ならBCLラジオを買ってもらえるという条件をクリアして、あのデジタ表示の『ナショナル・プロシード』をゲットしました。

期末テスト戦法が到底不可能な私は、普通にお年玉を貯めて『スカイセンサー5900』を手に入れました。

『プロシード』のようにデジタル表示ではないものの、ダイヤルを回しながら「ピヨ〜ン』という音を立てながら、短波放送局の周波数にピタリと合わせる、あの大人びた感覚は楽しいものでした。

初めてのベリカード

とはいうものの、

私の初めてのBCL経験は、スカイセンサー5900を手に入れる前に、

親父が途中で終わる巨人戦のナイター中継の続きを風呂に入りながら聴くための携帯AMラジオでした。

その携帯AMラジオで、地元の東北放送(TBC)で夕方に受信したのは『小沢正一的心』。

試しに受信報告書を地元の東北放送に送ってみました。

すると、ちゃんとベリカードが東北放送から送られてきたではないですか。

『小沢正一的心』でもベリカードは来た!

BCLの苦い思い出

記憶を辿っていくと、苦い思い出が蘇ってきました。

中学の時、クラスにテストでいつも全校1位の成績を争っている秀才君がいたのです。

その彼がBCLをやっていると偶然知り、

私はベリカードを3、4枚獲得したスカイセンサー男として、

その秀才くんと楽しいBCL談義をしようと思い、仲良くなれるかなと、話題を振ってみました。

しかし、全く相手にされませんでした。(涙)

秀才君(科学部)は、テストでも全校トップ争いしてるだけあって、相当負けず嫌いらしく、もう誰にも負けないくらいの数のベリカードを収集していたようで、

もう、けんもほろろといった態度で、

楽しくちょっとBCL談義でもと思った私は、アワワアワワと

もう天上から見下ろすスタンスの秀才君に狼狽えたのでした。

IQの違いすぎる人とは会話が成立しないっていうのはこういうことなんだなと、思い返す今の私。

ベリカード3、4枚集めたくらいでBCLを語るなと態度で示されショックを受けました。

『小沢正一的心』でベリカードもらって悪いか〜!

って、結局BCLで海外からの日本語放送聴いたり、受信報告書送ってベリカードもらったりするのもすぐに飽きて辞めてしまいました。

自然に消滅的に。

クズ哲也さんごめんなさい。

27Mhz帯が実は面白かった。

当時のBCL用ラジオには短波の周波数の中の27Mhz帯の受信が可能でした。

令和現在の短波ラジオでは27Mhz帯は受信できないようです。

27Mhz帯は、当時、CB無線とか言われていた、無線に使われていた周波数でした。

市民無線やトラックの運ちゃん、漁船の無線の交信などが受信できました。

これが面白い。

周波数は違いますが、そういえばアマチュア無線も受信だけなら可能だったような記憶があります。

ちょっとネットショッピングをのぞいてみましたが、令和の現在、日本のメーカーでは、そういった高性能BCLラジオは、もう販売されていないようです。

海外短波放送の日本語放送は今もあるの?

現在も海外短波放送の日本語放送は幾つかありますが、BCLとして楽しむような放送ではなく、宗教色の強い放送のようです。

今は、ポッドキャストやらなんやら、ネットで配信出来る時代になりましたから、

BCLのブームはたぶんこの先ないでしょうね。

この、BCLブームが起こった丁度その頃、このブログでよく扱っている「ゴジラ映画」は84’ゴジラで復活するまで、私も含む一般人の記憶の中から消えていた期間なのでした。

本屋の立ち読みで「ホビージャパン」のゴジラのガレージキットの記事を見るまでは。

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