アニメ盤ゴジラ最終章GODZILLA「星を喰う者」を鑑賞してまいりましたので、稚拙ながら、感想を書き残しておきたいと思います。
「第1章」「第2章」と劇場で1度観たきり、前回のストーリーや人物の関係性など、忘れかけた状態での「最終章」の鑑賞となりました。
本来なら「第1章」「第2章」をDVDなどで深く観直し、深くこのシリーズの内容を理解した上で最終章を観るのが正しい鑑賞の仕方だったでしょう。
なので、人物が登場するたびに、
この人は、どんな役回りなのかを思い出しながら観るという、なんとも不器用な鑑賞法となりました。
しかしまた、それも楽しい作業です。
「こんな医者、前作で出てたっけ?」
歳をとってしまうとこんな具合です。(涙)
ユウコは、やっぱり生き返らないのか?
前作で、私の心を揺さぶった場面は、
ユウコの目から滲み出た涙がナノメタルに変化して固まったシーンでした。
ストーリーというよりは、演出のディテールで心を動かされたと言えます。
そして、最終章を観る前に、私が思っていたことは、
もしかして、ユウコが何らかの力によって生き返るのでは?
という想像だったのですが、
その予想は、見事に外れました。
(ユウコは劇中では完全には死んではいないのですが。)
ギドラとは何だったのか?
ギドラとは、いったいどういう存在だったのだろう。
これは小説版を読まないと分からないのか?
と思い、アマゾンのレビューに飛んでみると「最終章」の小説はまだ出版されていないらしい。
「怪獣惑星」の小説版も、映画の内容をなぞったような内容らしいので、映画そのものから受けた感想をダイレクトに書いても良さそうだ。
ということで、感想に戻りますが、
ギドラの出現があまりにも唐突なところがサプライズでした。
突然現れたギドラが母船を破壊します。
母船には、エクシフも同乗していたのだから、ギドラはエクシフに操られて登場したのではないと、ここで私は理解したのですが、これで間違っていませんか?
ということは、ギドラの存在を最初から知っていたのは、メトフィエスだけっだったらしい。
カナカナカナッ!
メトフィエスが残った地球人を洗脳している時、何かメダルのような物を取り出すと、初代キングギドラの鳴き声、「カナカナカナッ」というサウンドエフェクトが流れます。
これは、ゴジラ映画好きの監督の、キングギドラを含む過去の特撮マンへのリスペクトの意味があったのでしょうか。
メトフィエスがやる儀式が、ギドラに関係があるのだということを、暗示させようとしたのかな。
しかし、私の記憶では劇中ではギドラは「カナカナカナッ」とは鳴いていなかった気がします。
ゴジラとの格闘で「カナカナカナッ」と鳴いてくれれば、平成「ゴジラvsキングギドラ」で、キングギドラの鳴き声がラドンの鳴き声になっていた時の???の気持ちが薄まってくれたのですが。
ミツクビ竜じゃないやん!
先行で発表されていたビジュアルを見て大体は分かっていましたが、ギドラが「キングギドラじゃない?!」。
首が一本一本、別のところから出てくるじゃないですか?
尻尾まで、出てきましたっけ?
おい!これは、
3匹のマンダやないか!
マンダやマンダ。
と感じたゴジラファンもいたのでは。
そう言えば、一瞬だけ黒いシルエットだけで、ほとんどサブリミナル状態で、翼のついた「キングギドラ」が出てきたような気がしました。
それだけです。あれはどういう意味や?
とはいうもの、ゴジラに絡みつく3匹のマンダ、いや、ギドラの映像は迫力満点!
アニメと言っても随分とリアルに描き込んでいて、人物キャラのぎこちない動きとは違って良かったです。
特撮のゴジラファンも二頭の闘いのシーンは、楽しめたでしょうか?
子供が観ることを考えると…
私は月曜日に観に行ったので、ガラガラに近い状態でした。
私の席の斜め後ろには、よく確認はできなかったのですが、母子がいました。
ここでは細かく説明できませんが、フツアの双子の「命を繋ぐ」に関わるあたりのシーン。
これは、親子で一緒に観るのはちと辛いのではないかと思いました。
あのシーンになった時、右斜め後ろの母子はどんな気持ちで見ていたのやら…。
と言っても、小学校低学年くらいの子供には、このストーリーやメッセージなどは、ほとんど把握できないのと思われるので、ま、大丈夫か。
アラフィフですが、私も把握できていません。それはあかん。
スープの悪夢は見たくなかった
ハルオがメトフィエスから手渡されて飲むスープとその後のシーン。
あれは、必要だったでしょうか?
ゴジラ映画にあれは必要ない。
と、私なんかは思ってしまうわけです。
ゴジラ映画なんだから…。
なんだ、あのモスラの付け足し感は
卵に祈りを捧げると、突然出ました!
成虫のモスラが!!
卵からいきなり成虫モスラが出たか、ハッキリと記憶できていません。
たしか、これもキングギドラと同じで、黒いシルエットでの登場でした。
登場は、ほんの一瞬のみ。
なんだか無理矢理感。
ここでは出しておかなければ!
ほとんどちょい役やん。
最終章なのにゴジラの出番少な!
ゴジラは終盤には、格闘するものの、映画の中ではほとんど眠ったまま、たまにカットが挟まれ、あ、ゴジラいたのか状態に。
この映画は、あくまで、最後までハルオが主役の映画です。
東宝特撮のように、人間ドラマはクライマックス前で終了し、最後は怪獣プロレスを満喫して終了。という流れは、アニメではやはり無理なのが分かりました。
しかし、ゴジラのメガトン級の熱線攻撃には胸がスカッとしましたよ。
「メカゴジラの逆襲」「怪獣大戦争」へのオマージュ?
メトフィエスが倒れると、ギドラがこの世界の物質となり、ゴジラが自分で摑みかかることが可能になります。
この流れ、過去のゴジラ映画にもありました。
私が最初に頭をかすめたのが、「メカゴジラの逆襲」です。
「桂」に埋め込まれたコントロール装置が破壊されるとメカゴジラが弱っちくなり、ゴジラが勝つという流れがそっくり。
これは、「メカゴジラの逆襲」へのオマージュかと感じられました。
メトフィエスの潰れた左目の中に見えた機械模様のようなものは、メトフィエスが、エクシフではなく、アンドロイドかななにか、ロボットだったということを現すシーンだったということと理解しましたが、これでよろしかったでしょうか?
それか、母船にいたエクシフたちもみんな、生身の生命体ではなかったとか。
それか、メトフィエスは一応エクシフ(X星人)ですから、
「怪獣大戦争」の、電磁波コントロールが解けて、怪獣たちが正気になって闘う。
というアイディアに発想を得たのかもしれない。これもオマージュか。
エクシフが古代の日本人説?
メトフィエスの髪型が日本の神話の時代の人の髪型に似ています。
そしてギドラをヤマタノオロチとダブらせることもできます。
この映画のビジュアルアイディアは、「古代大和びと」なのかも。
ゴジラは一瞬善玉に!
メトフィエスはゴジラを倒すためにギドラを襲来させたはずなのに、なぜかみんなが、反メトフィエスになっている。
それは、ギドラがゴジラだけでなく、この世界そのものをぶち壊してしまうから…。
ってことで、
最後まで生き残っているキャラの医者さんは、あからさまにゴジラを応援しているではないですか!
なんだかこのあたりでゴジラが地球のために戦っているように見えてくるから不思議です。
ハルオはゴジラに勝ったのか?
ハルオは、昆虫から進化したはずのフツアの娘と子をもうけました。
遺伝子的にそれは可能なのか?
それはまあいいい。
ハルオよ。
お前は父という自覚もなく、妻と子をあっけなく捨てて、
ゴジラへの憎しみを優先して特攻していきました。
これで正しいのか?
妻と子供のために生き続けるのが正しいんじゃないのか?
そんでもって、特攻していったものの、あれでゴジラの熱線に敵うわけはないと思うのですが、
結局、あれでゴジラを倒すことができたのでしょうか?
最後の最後に、未来のフツア達が生きながらえているシーンがあったので、命を繋ぐことはできたのでしょう。
ハルオの特攻は意味のあるものだったのだろうか。
私には分からない。
振り返って
と、観終わった後の薄い記憶だけで今回も感想を書いてみました。
かなり、トンチンカンなこと書いていると思いますが、これからゆっくりプログラムを熟読したいと思います。
その後、この感想文が、ものすごく恥ずかしいものになる確率高し!(汗)
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