ゴジラ怪獣惑星を普段アニメを見ない特撮ファンが観た感想

『GODZILLA 怪獣惑星』を本日観てまいりました。

私は、アニメは普段ほとんど観ません。

しかし、ゴジラを題材にしたアニメとあらば、義務として観ないわけにはいきません。

主に昭和の作品に重点をおいて語っているアラウンド50の私ですが、なんの予備知識もなく観に行った『GODZILLA 怪獣惑星』の感想を書いてみたいと思います。

今回もプログラムなどの情報を何も観ないうちに感想を書くことが大事だと思いますので、 マヌケなところを笑っていただければ幸いです。

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ゴジラファンはこれを観て満足したのだろうか

ゴジラファンというと、ふつう特撮映画ファンだと私なんかは思ってしまうのですが、そう考えているのは頭の古い私みたいな人間だけなのかもしれませんね。

アニメと特撮に境界はない…しかし

『シン・ゴジラ』だって『新世紀エヴァンゲリオン』のファンとクロスオーバーしているわけで、アニメをほとんど観なくなってしまった私のような人間のほうが珍しいのかもしれません。(私は最初の機動戦士ガンダムの頃にはもうアニメを観なくなっていました。)

アニメも特撮も大好きな人は、楽しめたのかもしれませんが、アニメファンではない特撮映画好きがこの『GODZILLA 怪獣惑星』を観たら、果たして楽しめたのでしょうか?

私は、正直これはゴジラ映画ではないな、と思いました。

ゴジラである必要はあったのか

観終わって、帰りの電車で少し情報を調べてしまったのですが、

この映画の前ストーリーとしての小説があることを知りました。

劇の始めあたりに、ドゴラやビルよりデカいカマキラスが出てきたので、ずいぶんと奇抜なチョイスをしたもんだなぁと思ったのですが、これは前ストーリーの小説があってのことだったんだなあと、地下鉄の電車の中で知りました。

でもこれ、私のように、なんの予備知識もない昭和の特撮おっさんがあのシーンを観たらやっぱり「え?なんでカマキラス?ドゴラって…しぶいとこいったなぁ、まあ宇宙ものっぽいからいいか。」

という感想になるんじゃないでしょうか。どうです?同世代のかた。

ゴジラを観てしびれたいのだが

そして私が、これはゴジラ映画じゃないと言ったのは、

ゴジラがほとんど活躍しないしないからです。

ゴジラ映画って、ストーリーも大事です。

もちろん俳優さんの演技も大事です。

しかし、ゴジラを見るためにそれらがあると言ったら私は批判されてしまうでしょうか。

ゴジラの映画のはずなのに、なんだかゴジラが暴れている、または破壊を繰り返すシーンを巨大スクリーンで、どうだ!とばかりに見せられて、ふーっ、参りました。今回もゴジラ映画でした!といった感覚がなっかったのです。

印象に残ったのは前半あたりで飛行場のようなところで人が脱出する宇宙船が離陸していくところをゴジラが熱線で破壊するシーンくらい。

このシーンが、なんだか実写のゴジラ映画のようで、やっぱり頭に残りました。

アニメなんだから、実写で出来ないシーンが多いにもかかわらず、観ているこちらが、今までに見た特撮での構図なんかが脳に刷り込まれていて、逆にそういう古めかしい構図が出てくるほうが安心してしまうという…。悲しいかな歳をとりました。

そして、なんとなくですが、ゴジラの背中ばかり見ていたような記憶です。

誰に感情移入すればいい?

この映画は、やっぱり見る前に小説を読んだほうがよかったような気がします。

そんな小説があったことさえ知らなかった私ですが、この、主人公?らしきサカキに、終盤になってきたら、だんだん感情移入してくる自分がいるのかと期待しながら見ていたのですが、結局、誰にもシンパシーを感じることなくラストまで来てしまいました。

映画の中でサカキのバックグラウンドなんかは多少でてきますが、それを見てもそこまでこちらの気持ちが乗り移らないというか。

途中で出てくるタニという女性との関係も小説を読まないと分からないようです。

「その呼び方はやめてくれ」というセリフがあるのですが、なんのことやら…(私が途中、腹痛をおこして大事なところを把握出来なかったかもしれません)

ということで、

  • サカキの復讐劇には、あまり感情移入できず。
  • ラブストーリーっぽい部分は薄いのが好みなのでこれでよいとして、
  • 一緒にいる宇宙人たちもなんだかよく分からない。

そして、

「観客のほうががゴジラ目線になる」というシーンが特撮のゴジラ映画では必ずあるのですが、見終わって、そういう記憶がありません。

そういえば、仲間が意表をついて自分を犠牲にしてゴジラの背中を攻撃したシーンの時はゾクっときました。(やっぱり、浪花節的なところでやられます。ちょろいですね、私、古い人間です。)

ゴジラ退治の方法を楽しむ映画なのか?

映画は、人間たちが地球に戻ってからは、ゴジラを倒すための計画をいろんな専門用語を織り交ぜながらああでもないこうでもないと議論しながら話が進んでいきます。

よく分からない用語が乱立しながら作戦が失敗したり成功したりしながら進んでいきますが、頭の柔軟性がなくなったアラフィフの私には「そこは違うだろ」と口を挟むほど作戦や理論を理解できる力が衰えているので、そんなシーンはいわゆる「流し見」状態になってしまいます。(ここは、 シン・ゴジラの時も同じ体験をしましたが…)

悲しいですね。これ、中学生や高校生は理解しながら観てんのかな?なんて疑問に思いました。

それか、今の映画というのは、メディアミックスで、あとでゆっくりと書籍をよんだりネットで調べたりして内容をじっくり噛み締めて理解して、仲間と居酒屋や喫茶店や2ちゃんねるなどで議論を楽しんだりするものなのでしょうか。

私には、一回観てどんな内容か説明せよと言われても伝える自信がありません。

アニメは声優のセリフなしでは持たないのか

ゴジラを撃滅するために、必死に攻防する人類(宇宙人を含む)たちですが、クライマックスでは、やたらとゴジラのまわりをハエのように飛び回って戦います。

ここで、アニメと特撮怪獣映画の違いがでてきます。

アニメは、もうやたらとキャラクターが喋ります。

激しい戦闘の中で、激しく変わるカット割のなかでみなさん声を張り上げたりします。

アニメってそういうものです。

ゴジラを観に来たつもりだった自分は、

クライマックスには、俳優さんたちはセリフがほとんどなくなって、「伊福部昭サウンド」をバックに怪獣によるぶっ壊しシーンを楽しむ」

という、ゴジラの特撮を観ていたおっさんには、ゴジラのまわりを飛び回っているキャラたちのおしゃべりがうるさく感じてしまったのです。

音楽と効果音だけで、ゴジラとの戦いを見せてくれ!

なんて感じてしまいました。

しかし、未来の地球は森ばかりで、背景的には長々と見せられてもイマイチだったかもしれません。

続編に期待しましょう!

観ている途中で腹痛を起こしてしまい、エンドロール中は冷や汗が出ていたのですが、最後にみたものは!

なんと、これには続編があるのですね!

そして、

もしかして、地球には人が生きながらえていたようなことを思わせるシーンが。

そして、映画の序盤にちらっと出て来て起動しなかった、メカゴジラらしきものが次回は活躍してくれるらしいです。

いままで、なんだか否定的なことばかり書き連ねましたが、この最後の数秒だけで、

次回も観ようかな。という気にさせられてしまいました。

これはずるい。

以上、

『GODZILLA 怪獣惑星』観て帰宅して、ほぼ情報入れずに書いた感想でした。

読んでいただいてありがとうございました。

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