昭和の特撮ヒーローを40年代生まれが語ってみた

昭和という時代は日本特撮ヒーローの創成期といってよいでしょう。

映画の時代からテレビの時代へとヒーローも移っていきます。

私は昭和40年代今れですが、自分の生まれる前の昭和時代も含めて偉そうに語ってみました。

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あなたにとっての昭和の特撮ヒーローといえば何ですか?

昭和といっても、約63年あるわけですから、人それぞれに、胸を躍らせた昭和の特撮ヒーローは多岐に渡るのでしょう。

日本で最初の特撮ヒーローは何?

『特撮』でイメージできるのは、円谷英二氏が関わった、戦中に作られた、「ハワイ・マレー沖海戦」が私の頭に浮かびましたが、ヒーロー物となると、どんなものがあるのでしょう。

侍モノとか忍者モノがありそうです。

『西遊記』の孫悟空がヒーローだとするなら、1940年(昭和15年)の『エノケンの孫悟空』が特撮ヒーローの最初にあたるでしょうか。

この『エノケンの孫悟空』、東宝の映画ですが、こちらも円谷英二氏が関わっています。

そして、明確に特撮ヒーローとよべるのは、1957年 – 1959年に製作、公開された『スーパージャイアンツ』(9作品)。

宇津井健さん全身タイツに身を包んでスーパージャイアンツを熱演しています。

宇津井健さんといえば、私の年代でのイメージは、山口百恵さんの『赤い〜』シリーズ。病院の廊下で、いきなりバレーを踊り出しちゃったりする。実直な上流階級のお父さんの役のイメージ。

最近では、『渡る世間に鬼はなし』の岡倉大吉役を第8シリーズで演じておられました。

特撮ヒーローは恥ずかしい?

特撮ヒーローを演じた俳優さんには、大まかにふた通り、特撮ヒーローを演じた事を誇りにしている方と、特撮ヒーローを演じていた事に触れて欲しくない方がいます。

後者の代表が、宇津井健さん。やっぱ、あのコスチュームが原因でしょうか?

特撮ヒーローを誇りにお仕事されている印象が強いのは、『仮面ライダーV3』風見志郎役の宮内洋さん。勝手な印象です。

「宮内洋」より『風見志郎』のほうが私の年代では通るでしょう。

私生活でもヒーローのイメージを壊さないように生きていらっしゃるそうです。

ウルトラマン、仮面ライダー以前の記憶を探る

私事で恐縮ですが、昭和40年代生まれの人間にとっての特撮ヒーローとなると、やはり仮面ライダーとウルトラマン以前が思い出せません。

当たり前です。『仮面ライダー』の時点で、5歳でした。再放送ではなくリアルタイムのウルトラシリーズとしては『帰ってきたウルトラマン』です。

小学生が、仮面ライダーのカードとアルバム欲しさに、「仮面ライダースナック」の箱買いをする問題が持ち上がりました。私の周りにもいましたよ。ライダースナック買って、食べずに人にあげる奴

箱買いのルーツは、この、仮面ライダースナックから始まったのだと記憶しています。

そのライダースナックが、あまり美味しくないのがまたよくなかった。かっぱえびせん風の菓子なのですが、甘いのです。この味が微妙で…。

たしか、ウルトラマンAスナックはかっぱえびせんと同じ塩味でした。こちらはまあまあでした。

高速エスパーの原色感

『高速エスパー』も平日夕方に再放送を見ていました。1967年の作品ですが、本当にアイディアもプロットも素晴らしくて、もう一度見て見たい作品です。カラーの特撮としても初期の作品ですが、エスパーのデザインも原色感が凄くて、やっぱスポンサーが東芝だけありました。

この頃、営業時間の終わった東芝の電気店のシャッターには、高速エスパーの漫画が書かれていました。(昭和40年代のよくあるノスタルジックな景色のひとつです)

最初はドラマ番のエスパーと同一キャラクターだと気付きませんでした。

主役の三ツ木清隆さんはその後、特撮時代劇ヒーロー「白獅子仮面」の主役をされています。

円谷プロと石森章太郎(石ノ森章太郎)を体感できた時代

昭和40年代の少年たちの幸運とは、やはり、テレビで円谷プロ作品と石森章太郎(石ノ森章太郎)原作を体験できた幸福ではないでしょうか?

子供向けの作品と言っても作家たちがいろんな社会的なメッセージを投げかけていて、大人になってからも、思い出すたびに考えさせられるところがあります。

当の子供の私は、そんなメッセージはまったく理解していなかったのですが、ウルトラマンが死んでしまったり、ウルトラセブンが十字架に架けられたり、キカイダーが、頭だけになったり、という場面では、子供にとって、『命』について考えることを最初に意識させられるのも、特撮ヒーローものでした。

背中が悲しい石森(石ノ森)作品

特に、石森章太郎(石ノ森章太郎)原作はペシミスティックな作品が多く、ほんとに彼らの背中が悲しくて…。

ロボット刑事という作品がありました。再放送も見た事がないのですが、やけに悲しかった記憶だけが残っています。

ロボット刑事のKが「マザー!」と叫んでいたこの記憶。そして、ロボットのKがコーヒーを飲もうとして、「俺ロボットだったんだ」とうろたえるシーンてありました?

「ロボット刑事」はハリウッドの『ロボコップ』より14年前に作られています。

当時、友人の1人に、洋画万歳の男がいて、洋画のヒット作を私に無理やり観せてくるのでした。そしていつも、自分が作ったりわけでもないのに鑑賞した後にビデオをケースに仕舞いながら「どうだ?」と言ってくるのでした。

『ロボコップ』もその中の1作品でしたが、私は、「ロボット刑事のパクリとちゃいますか?」とは言いませんでしたが、内心そう思いました。(中身は全然違いますが)

小学3年生が鬼門、特撮にライバルが現れ始める

私を含め、子供達は皆、特撮ヒーローに夢を貰いながら成長していきます。

しかし、考えてみると、子供達が特撮ヒーローものに夢中になる時間は意外に短いものです。

仮面ライダーV3に夢中にになっていた私も、同じ宮内洋さんが出演していた『秘密戦隊ゴレンジャー』の頃には、「なんで、みんなでボール蹴ってんだ⁈」ってなっているわけです。ほんの2〜3年の間に…。

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私が考えるに、小学3年生が境界になり、他に分野のヒーローに目が向いていきます。

仮面ライダースナックとカードは、いつしか、プロ野球スナックとプロ野球カードに取って代わられ、ヒーローは、ライダーやウルトラマンタロウから、世界の王貞治選手に代わっていくのでした。

今で言ったらどんなヒーローが、特撮ヒーローの座を奪っているのでしょう?

イチロー選手?大谷翔平選手?香川真司選手?

スポーツヒーローは、やっぱ強いでしょうね。

とはいえ、現在も続いているウルトラシリーズと仮面ライダーシリーズは凄いですね。

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無くしてはいけない、日本文化

特撮ヒーローものは、正義の為や、間違ったものとは戦わなければならない事もあるという事を子供が学ぶ、唯一のプログラムになってしまっている。という側面があります。

無くしてはいけないもののひとつが、特撮ヒーローではないでしょうか。

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