昭和の録音機器(70〜80年代)といえばラジカセでしたね。
もう、カセットテープを一度も利用したことがないという人も多くなっているに違いありません。
今回は、私の思い出も含めて80年代のラジカセあるあるを書いてみたいと思います。
次男坊はラジカセを買ってもらえない。
一家の主人である父親が新しも好きでない場合、新しものを買ってくれと親に要求するのは、長男か長女になります。
ラジカセもそんな品の中のひとつでした。
すると、中の中から中の下くらいの家庭ではラジカセも、すぐにおいそれとは買ってもらえないのでした。
お年玉を貯めて買うという方法しかなかったのですが、兄が中学生になると、別の方法で欲しいものをゲットする機会を得たのです。
そうです。
中間テストや期末テストで校内10番以内(5番以内だったかな)になったら、欲しいものを買ってもらえる。という「馬に人参」方式です。
兄は頭が良かったので、テストで10番内に入り、ラジカセ、BCLラジオ、ステレオをゲットしました。
(私も中学生になり同じようにチャレンジしましたが、校内10番以内など、はるか遠く、なにひとつ買ってもらうことができませんでした。)
兄がステレオコンポを買ってもらって、はじめて私が「ラジカセ」を自由に使える時がきました。
次男は得なのかそうでないのか分かりません。得だったのかな。お下がりでも。
ラジカセあるある(70〜80年代)
一般的な子供の音楽への入り口はテレビの音楽番組、その次にラジオでした。
それを繋ぐのがラジカセというものでした。
私も含めた昭和の子供たちはラジカセでどんな経験をしていたのか振り返ってみましょう。
ザ・ベストテンを録音する!
ラジカセを自由に使えるようになった私が最初にしたのは、音楽番組「ザ・ベストテン」を録音することでした。
私と同じことをした人は、たくさんいらっしゃるのではないでしょうか?
初めてカセットテープに録音したのは、世良公則とツイストの『宿無し』と山口百恵の『いい日旅立ち』がベスト10内に入っている週の回でした。
テレビにラジカセを近づけて録音!
その頃のテレビには、出力用のコードを繋ぐジャックはあったのかなかったのか覚えていないのですが、最初の頃は、テレビのスピーカーにラジカセをくっつけて録音していました。
これはあるあるネタでよくあるやつですよね。
せっかく録音してるのに、母ちゃんの声が入っちゃうっていうパターン。
「今、録音してんだから静かにして!」と言って協力してくれた家族はいい家族だと思います。
私の家では、まったく非協力的でした。
テレビでやる映画の音声を録音する
ラジカセを手に入れると、次にやったのはテレビで放送する大好きな映画の音声を録音するという行為に出ます。
そうです。
120分テープという味方があったのです。
私は小6当時、菅原文太主演の『トラック野郎』シリーズが大好きでした。
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この『トラック野郎』シリーズが、ある時からテレビで半年に一度、第1作目からテレビで放送するようになったのです。
ここで120分テープの登場です!
放送前からテレビの前で待ち構えます。 ザブーンザブーンと波が打ち付ける『東映』のオープニングからRECボタンをガチュンと押し込みます。
技が必要なのが、CMをカットする時です。
録音中にCMになった時は、そのCM中にテープを少しだけ巻き戻してCMをカットするという早技、そしてCMが終わると同時に録音ボタンと一緒に押していた一時停止ボタンを解除する!
と思ったらまた次のCMが流れ、一連の作業をまたやる。
そこまでしてコマーシャルをカットしなくてもいいと思うのですが、そんなことやってましたね。
それか、CMに入る前にテレビ画面のどこかにサインが出ていた?
もう昔のこと過ぎて記憶がありません。
この、テレビで放映された『トラック野郎』には恥ずかしい思い出があります。
それは、こちらの記事に書きました。
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ラジカセを手に入れるとDJ番組を作りたくなる。
小学6年生から中2くらいにかけて、みんな深夜放送などのラジオ番組を聴き始めます。
それもラジカセがあってのことなのですが、そしてその中には自分でDJ番組をラジカセを使って制作するヤツもいます。
私もそんな少年の1人でした。
DJといっも、現在のようなレコードを回す人のことではなく、当時のディスクジョッキーというのは、今で言う「ラジオパーソナリティ」のことでした。
「〇〇のなんでもジョッキー〜!」とかオープニングで叫んでそこで一旦テープを止め、別のラジオから曲を流して数秒でフェードアウトさせます。
そして、 「ハイ!今週も始まりました〇〇△△は〜」とか言いながら、途中でお気に入りの曲などを入れながら30分くらいの番組を作りました。
あなたは、こんな遊び、子供の頃しませんでしたか?
私は、こうやって作った番組のテープを友達に聴かせ、迷惑がられました。(爆)
ラジカセを手に入れると作詞作曲がしたくなる
小6から中1に上がる頃は誰もが音楽に目覚めます。
80年代が始まる頃はまだ、J–POPなんて呼び方はなく、その音楽の類は、
- 歌謡曲
- フォーク
- ロック
- ニューミュージック
というような呼び方をされていました。
「ニューミュージック」というジャンルも、
- フォークとロックをひっくるめたものという概念なのか
- フォークが進化してオシャレになったような音楽の(例えば当時のユーミンの曲)ことをそうよぶのか
それさえ曖昧な時代でした。
そう、1980年前後はニューミュージックの創成期だったのです。
中学生は、かぐや姫、風、アリスあたりでフォークギターに憧れるというコースをたどります。
ラジオとテレビでも、「ポプコン」という、アマチュアがプロになっていくのを応援するような番組がありました。
私も、アリスに憧れました。
それなのに「モーリス」のギターを買わずにヤマハのギターを買いました。
当時、アリスがモーリスギターのラジをCMをやっていました。「僕らのギター、モーリス!!」
アリスに憧れているくせに、ヤマハのギターのほうがいいんじゃないかなという感覚…。
そんな少年、けっこういたと思います。
そして、誰もがフォークギターを抱えて、曲を作ってみるのです。
カセットテープにオリジナルアルバムを吹き込むのだ!
ラジカセがあると、作った曲は自分でギターを弾き語りして録りだめできます。
それが、10数曲たまるとオリジナルアルバムの完成です。
安いエコーのかかるマイクでとると少し上手く聞こえましたが、曲はグダグダです。
カセットテープのケースには自分で描いてジャケットをこしらえました。
いつかこれでデビューするぞ〜なんて本気で考えていました。
プロのミュージシャンも初めはこんなだったはずですよきっと。
この自作のアルバム作り(音楽のことですよ)という遊び、イラストレーターで「マイブーム」の創始者、みうらじゅん氏もまったく同じようなことを学生時代にやっていて、それを、みうらじゅん氏の展覧会で見た時、なんか、感動を覚えましたよ。
同じことしてるな〜と。
こんなことをしてるヤツは、クラスに2、3人はいたと思います。
これも、ラジカセがあっての遊びでした。
そして、ある日YMOが一斉を風靡します。
自分は中2の時だったと思いますが、中1の時、あれほどアリスだなんだってフォークギターをかき鳴らしていた奴らが一気に消えました。
YMO前後でそれくらいみんなは変わっていきました。
フォークギターを押入れにしまった人もいたでしょう。